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【アラベスク】  第14章 kiss



第2節 本気の証 [4]




 結局何も答えない美鶴に、聡は瞳を細める。
「ひょっとして、(いま)だに俺の気持ち、認めていないとか?」
「え?」
「俺がお前をからかってるだけだと思ってる?」
「そ、そんな事は」
「じゃあ、どうして答えてくれない?」
 手首を握る掌に力を込める。美鶴は顔を顰める。
「痛い」
「痛いか?」
 さらに力を込める。
「痛い、聡、やめろ」
「俺も痛いよ」
 そうして、二人の唇が重なる。





 瑠駆真は携帯を荒々しく切る。一度は繋がった美鶴の携帯。だがすぐに切れてしまい、それ以後は繋がらない。
 電源が切られた。
 誰が? 美鶴が?
 背後に響く予鈴。瑠駆真は構わず歩き続ける。こんな気分で授業なんて受けられない。
 脳裏にこびり付くのは小童谷陽翔の優美な視線。女子生徒たちの言葉を借りるなら、中性的(ユニセックス)神秘的(ミステリアス)。そんな整った顔が、曖昧に歪む。



「ずいぶんと、お熱い写真だね」
 女子生徒から手渡された携帯。瑠駆真の握るその携帯を指差し、陽翔はクスリと笑う。
「夜の夜中に熱烈だね。見ているこっちが恥ずかしくなる」
「小童谷、お前」
「口汚い言葉ならいくらでも聞くよ。でもね」
 瑠駆真の怒りをスルリと(かわ)して腰に手を当てる。
「いくら君が怒鳴ったところで、この写真がこの世から消えるワケじゃない」
 右手で前髪を掻き揚げる。奥二重の、不敵な瞳。
「何が目的だ?」
「目的? 何も」
 しれっと答える姿が相手の激情を誘う。それを計算してのことだろうとは瑠駆真もわかっている。わかってはいるが、抑えきれない。
「しらばっくれるなっ!」
 怒号に、傍の女子生徒が飛び上がる。そうして瑠駆真の形相に身を竦め、携帯も受け取らずに教室へ逃げ込む。
「目的もなくこんな写真をっ! どういうつもりだ」
「どういうつもり? うん、その質問になら答えられる」
 相変わらず不敵な笑みを浮かべたまま、陽翔は優雅に口を開いた。
「俺はただ、お前の周囲をメチャクチャにしたいだけ」
 そう、破壊しつくしてしまいたい。立ち直れなくなるくらい、徹底的に。
「平穏な生活なんて、お前には与えない。それは俺が許さない」
「そこまでされる覚えはない」
「無いだと? 嘘だろ? お前はわかっているはずだ」
 お前が俺に、どんな仕打ちをしたのか。
「母さんは、もう戻っては来ない」
「そうしたのはお前だ」
「違う」
「違わないよ」
 少しだけ、陽翔の口調に棘が潜む。
「違わない」
 俺から初子先生を奪ったのは、紛れもなくコイツだ。
「お前のせいだ」
「だからって」
 だからって、あろう事か美鶴の唇を奪い、挙句こんな写真まで撮って―――
「だからって、こんな事を。美鶴は関係ないだろうっ!」
「そうだな。関係はないかもしれない。お前に関わらなければ、彼女は学校中の好奇に晒される事もなかっただろうにね」
 お前に関わらなければ。
 無理にでも、瑠駆真に呵責(かしゃく)を芽生えさせようとしている。
「卑怯者」
「何とでも言え」
 肩を竦め、ゆっくりと歩き出す。激情に震える瑠駆真に、ゆっくりと近づく。
「無関係な人間を巻き込むな」
「ふふ、王子様というよりはまるで騎士(ナイト)だな」
 面白そうに声を漏らす。
「想う人間の為ならば、声も荒げるか」
「普通だ」
「だが、傍から見れば少し滑稽でもあるな」
「なっ」
 嘲るような物言いに歯噛みする瑠駆真へ向かって、陽翔は口の端を吊り上げた。
「そちらが想っていても、果たしてあちらは想っているのかな?」
「何?」
「そもそもお前は、大迫に想われているというワケではないんだろう?」
「ぐっ」
(あしら)われても、健気なものだな」
 カッと頭に血がのぼる。
 美鶴に想われているワケではない。
 そんな事はわかっている。だが、だからこそ想われたくて必死になるのではないのか?
「お前に、何がわかる?」
「わからないな」
「だったら余計な口出しはしてくれるな」
 そして、余計なトラブルにも巻き込まないでくれ。
 そんな瑠駆真の視線を読み取ったのか、陽翔はチロリと上目使いで顎を摩る。
「その点に関しては、多少良心が痛む部分もあるけどね」
 そうして今度は両手をポケットに突っ込み、悠々と瑠駆真の横を通り過ぎようとして、少しだけさらに歩調を緩める。
「今回は、別の人間の意見も取り入れてみたんだ」
「何?」
 潜められた声。
「別の、人間?」
 見るからに動揺する相手。
「華恩を敵にまわしたのは、お前だろう?」
 華恩。
「大迫美鶴も、つくづく可哀想な女だな。お前なんぞに好かれなければ、もっと平穏な日常が送れただろうに」
 僕に関わらなければ。
 グッと拳を握る。
「お前、今度こそ大迫美鶴に嫌われるよ」
 瞠目する瑠駆真。
「ざまぁみろ」
 振り返った時、小童谷陽翔はもう教室へと姿を消していた。その姿を追うように三組へ行ったが、美鶴はまだ登校していなかった。
 美鶴、この写真を見て、君はどう思うだろう? また僕のせいで揉め事に巻き込まれたと、責めるのだろうか?
 自宅謹慎になった時、美鶴はおまえのせいだと瑠駆真を責めた。英語の成績が落ちた時だってそうだった。
 どこに居る?
 携帯は相変わらず繋がらない。
 美鶴、どこに居る?





 足が(かじか)む。もうどれくらい、こうやって押し倒されているのだろうか? 息苦しさで呼吸が乱れ、唇が離れてもまともに言葉を発する事ができない。
「美鶴」
 荒い息から言葉が漏れる。
「美鶴、俺ではダメなのか?」
 答えを求めるように唇を覗き込む。濡れて艶を帯びた紅を見ると、もっともっと欲しくなる。
 抑えなければならないと、頭ではわかっている。暴走して、事が好転したためしはない。だけれども―――
「瑠駆真ならいいのか?」
「それは違う」
「ならどうして?」
「だからそれは」
「何なんだっ」
 焦慮で全身に力が篭る。もはや美鶴には抵抗するだけの余力はない。
「瑠駆真じゃない。でも俺もダメ。何なんだ? 美鶴、お前は俺たちを、俺をどう思っているんだ?」
 どう思っている?
 嫌いではない。でも、好きでもないんだ。だって、自分が好きなのは霞流さんなんだから。でも、その一言が言えない。
 怖いから。
 何かを言いたそうにしながら、でも先ほどから大した返事もしない美鶴の瞳に、聡はフッと力を抜く。
「怖いのか?」
「え?」
 まるで心を見透かされたかのよう。まさに今の美鶴の心情を一番的確に表している言葉。
 美鶴の全身が硬直する。
「怖いのか?」







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